ツーリングセローで行く3泊4日の福島ツーリング 後編
前回に引き続き後編です。ここからはカンピロバクターを旅先で発症したため、ほとんど動きがなく面白みに欠けます。
2日目 崎川浜キャンプ場〜富岡ホテル
強烈な悪寒と発熱に苦しむ
テントで寝たあと、11時頃に目が覚めました。
気温が低く寒くて目が覚めたのです。
出発した日の前日の地元の気温は35℃。
しかし猪苗代湖の気温は15℃ほどと、20℃も違うから当然です。
東北と言っても30℃ぐらいはして暑いだろと思っていましたが読みが外れました。
たまたま寒い日だったようで道の駅でも地元ナンバーのおじさん達が「寒い寒い」と言っていました。
長袖は万一のために持ってきたhyodのフリースとユニクロのウルトラライトダウンベスト、ワークマンの裏地アルミのウインドブレーカー。
全部着込み横になりました。しかし、すぐに身体の奥からガタガタと震えが来ました。
すぐに熱だと気が付きがっかり。
寒いのを我慢してメッシュジャケットで走行し続けたのが問題だろうと思料します。
ときおり眠ったりはしたのですが、朝まで耐えるとむしろ体調は悪化し立ち上がるのも一苦労な状態に。
そのまま昼まで耐え、小康状態になったのを見計らい荷物をまとめて脱出。
キャンプ場は綺麗でした。
富岡ホテルへエスケープ
その後、当日の宿である富岡ホテルへ向かいます。
予約をしていたためそちらに向かいましたが、今考えるとこの時点で帰宅しておけば…。
郡山市を経由して田村市を通り浜通りへ。途中、汚染土を処分しているのを見かけました。
まだまだ終わりませんね…そんなこんなで16:00ごろに富岡ホテルへ。
チェックインを済ませてすぐにベッドに横たわります。
ワンルームで朝食付き8,000円。
2017年開業とのことできれいで清潔な宿です。
熱っぽさもだいぶ良くなってきたと安心して眠りましたが、ここからが本当の地獄だったのです。
下痢に苦しむ
車で来れば良かったとか、白河ラーメン食べそこねたとか色々な後悔をしていると、突然お腹の痛みが!
ちゃんとしたとこに来たから胃腸もすっきりしたいのかな?と思いトイレにはいると軟便。
高熱出たしこんなもんかと思っていると、また腹痛。
ここで自分は気が付きました。
これ、カンピロバクターでは??
思い当たる節はありました。この4日前、消防団の訓練の後に焼肉を食べに行ったのです。
そこで鳥刺しをバクバク食べておりました。
これやんけ…。
ネットで調べる限り数日耐えれば回復すると信じて就寝。
結論から言うとどんどん悪化していきました。
3日目 富岡ホテルで療養
トイレとベッドの往復
夜中はベットとトイレの往復でした。
こ、殺してくれと思うレベル。
便に血は混じり出すもどうにもできない状態。
朝食プランでしたが朝も食べられず、帰宅するにもセローで700キロ。やむなく連泊することに。
夕方に下痢が一時的に収まったため富岡町を散策することにしました。
自分の本来の目的は3年ぶりに来たこの町の復興具合を見たかったからです。
津波で流されてしまった駅舎は復活してました。
左の売店兼軽食屋さんは名物を売っていたりして、小さい店ながら気を吐いています。
レールこんな錆びててええんか?
廃炉記念館に行きたかったのですが、なかで漏らすのは避けたかったのでなくなくパス。
人が住まなくなった建物はどんどん解体されており、見た目には綺麗になっていましたが、まだ一部はこんな感じ…。
集合住宅が立ち並んでおり人を戻したいという気持ちは伝わりました。
少なくとも3年前よりは確実に前進しているとちょっと嬉しい気持ちになりました。
おそらく街唯一のモールで薬と経口補水液を調達し帰宅。
相撲を見ながらうんこして、寝ては便意で起きるという生活を繰り返しました。
4日目 富岡町〜愛知
早朝から帰宅
6時に出発。
漏らすのは絶対NGの超サバイバルツーリングとなりました。
常磐道を走り続け圏央道から抜けると青梅市から渋滞。
何故か走行中は腹痛が起きないという体質に気付き、そのまま高速を降りて奥多摩へ。
トヨタ2000GTとか走っててすごかった。
大月に抜けて中央道〜中部横断自動車道へ。
君は太平洋を見たか、俺は日本海を見たい。
中部横断自動車道は貫抜されていないため下道から新東名を通ってきたくしました。
おおよそ700キロ、写真なし、給油以外での休憩無しでした。
二度とやるか。
総論:鶏肉はちゃんと焼こう
カメラは忘れるし、腹は壊すという取れ高の少ないツーリングになってしまいました。
みんなも鶏肉はしっかりと焼こうな。
ちなみにさっきまで点滴を打ってもらっていました。
以上!(やっつけ)