悲運のバイク、刈谷市美術館のトヨモーター展に行ってきました
先日、刈谷市美術館のトヨモーター展に行ってきました。
戦後まもなく愛知県内に現れ、そして消えていった実用バイクメーカーのトヨモーター。
今回はそんな高度経済成長期の幕開けを飾った実用的なバイクたちを眺めに行ったので、その記事を簡単に書いておきたいと思います。
スマホでの写真ですのでブレた物も多いですが何卒ご容赦ください。
祖父の乗っていたトヨモーター
トヨモーターとは、1949年から1958年まで存在していたトヨモータースという会社が作っていたバイクのことです。
詳細についてはwikipediaに任せますが、簡単に言うならば、戦後生まれた数あるバイクメーカーの1つであります。
刈谷市に本社があったトヨモータースは愛知県内でシェアを伸ばしていたそうです。
私がトヨモーターに関心があるのは、祖父が昔乗っていたという話を聞いたことがあるからでした。
大正生まれの祖父は現在90代。
工員としていて働いていた豊川工廠の空襲を生き残り、戦後は自動車業界で働いていました。
祖父は思い出話としてトヨモーターやラビット、ドリーム号、パブリカが出てくるような人物です。
トヨモーターという乗り物については現在存在していないメーカーであり、幼い時分から気になっていた乗り物でありました。
そんなこともあり、トヨモーター展が開催されることを知るとすぐに祖父のことを思い出したのです。
さっそく行ってみた
祖父の思い出に触れるためにもさっそくトヨモーター展に行ってみました。
会場は刈谷市美術館。小さな市の公共施設です。
入口を入るとすぐそこにはトヨモーター展のボードとともにトヨモーター初期のモペッドが飾られていました。
この展覧会はバイクの写真がOKでした。
しかも無料です。
5年ぶりぐらいに美術館に来ましたが、こういったボードを使うなどして今は積極的にSNS映えを狙って集客しているんだなあと驚きました。
写真は自転車にエンジンを付けたいわゆるモペッドと呼ばれるものであり、ホンダも昔はこういった乗り物を発売していました。
写真は撮影していませんが、ほかにもモペッドは何台かあり、パワーのないものは登り坂で人間が漕いでアシストしていたそうです。
これは70cc(だったような)のトヨモーター。
英国のバイクメーカーBSAを模倣したようなバイクですね。
わずか数馬力しかありませんが、車格はかなり大きくMT-07はおろかW650ほどの大きさぐらいに思われます。
質実剛健な鉄フレームにリジットサスペンションです。
乗り心地はすさまじそうですが、リアの巨大なキャリアを見る限り、近所への様々な輸送に使われていたのではないかと推測できます。
これは高級モデルのFES型。
排気量は150ccありますが、出力はたったの4馬力程度。
YBR125の半分ぐらいしかありませんね。
しかしながら、この堂々たる体躯。ぜひとも現在のヤマハやホンダに再現してもらいたいところです。
トヨモーターの他にもキャブトンマフラーで有名なキャブトンのバイク!
めっちゃかっこいいですね。
600ccからわずか28馬力を絞り出します。
現代の250cc単気筒レベルですね。
タンクの上にキャリアが付いているというのが現代ではあまり見られなくて新鮮です。
ほかにも愛三工業のアイサンスピットというモトコンポのご先祖様のようなバイクもあります。
2st25馬力のガソリンでもディーゼルでも動くけどすぐ壊れるエンジンを搭載しているそうです。
こちらはホダカのオフロードバイク。
1970年代に活躍したそうです。今でもアメリカでは熱心なファンがいるとかなんとか。
現在でも生き残ってほしかったバイクメーカーではありますが、1973年にヤマハがモノクロスサスペンションを作ってオフロードバイク界に革命を起こしていたので、どちらにしても長くは続かなかったのかもしれません。
総評:日本のモーターサイクルの発展を陰で支えた愛知の中小メーカーたちを忘れるな
トヨモーターをはじめとして、様々な零細中小企業が独創的なバイクを作っており、愛知県はかつてモーターサイクル王国であったということに大きく驚かされました。
しかしながら、現在のバイクメーカーは浜松や磐田を母体としており、愛知県で興った会社はありません。
愛知県のバイクメーカーが絶えてしまった原因は1959年の伊勢湾台風で壊滅的な被害を被ってしまったからであるといえます。
中小メーカーは機械や部品が流されてしまいほぼ全滅してしまったそうです。
もし、伊勢湾台風が愛知を襲わなければ日本のモーターサイクル業界は大きく変わっていたのかもしれません。
日本のモーターサイクルの歴史を陰で飾った愛知県の中小メーカーたちの残したバイク。
非常に興味深いものでした。