三重・和歌山までジムニーで車中泊旅行に行きました
先日、ジムニーで1泊2日(車中泊)をしながら紀伊半島を走ってきましたのでブログにしようかと思います。
23号アウトバーンを西進
国道23号線、ここは愛知のアウトバーンです。
蒲郡や大高あたりの一部を除いて、豊橋から長島までずっと高架の2車線道路。
とにかく飛ばしている。
オービスも多いが、地元ドライバーはそれも熟知して避けている。
ジムニーでは流れに乗るだけで一苦労である。
その珍しい23号線の地上区間にあるマックにちょうどお昼なので寄ろうと思ったが、混んでいて断念した。
お昼ご飯難民となった私は、先日降った大雪のせいで時折道路に落ちていたり、トラックから舞い散る雪の塊に驚きながらも黙々と西に進んだ。
そして、クアハウス長島へ向かった。
気持ちのいい青空であった。
ここはドライブに行く度に気になっていたスポットだ。
なぜならオートレストランがあるからだ。
しかし、残念ながらそのレストランは閉業していた。
無念すぎて写真を撮影することも忘れてしまった。悲しいなあ。
雪の鈴鹿
四日市に入った頃から雪が舞うようになり、鈴鹿に入るとそれはいよいよ強くなった。
私のジムニーはマッドテレーンタイヤを履いているため、雪は怖くはないが、それでも怖さはぬぐえない。
どうせ南に向かうから大丈夫だろうという楽観もあったが、小休止を取るために鈴鹿のマクドナルドへと向かった。
子供の頃、ジャンクフードを親から禁止されていた反動からか、大人になってからそれを好むようになってしまった。
幸い、津市街地をパスする23号のバイパスを走っているうちに雪は上がった。
鳥羽を超える
伊勢を超えるといよいよ三重県の本領が発揮されるように自分は思う。
伊勢の手前までが中京工業地帯の硬質なぬくもりを感じる部分であるが、
伊勢神宮の鳥居より南からは紀伊半島の自然と文化が支配されている部分であるように思えてならない。
鳥羽の山中を超え、志摩をパスすると、南伊勢町に入った。
ここからは、太平洋を左手に見ながらどんどん進む。
このあたりにまで来れば自分を邪魔する車はほとんどいない。
ジムニーの自然なペースのまま走る。
私はジムニーやセローのようにパワーのない乗り物が好きなのかもしれない。
制限速度内で楽しむことができる方が長く付き合える、そんな気がするのだ。
時折、駐車できるスペースがあったので写真を撮影した。
リアス式海岸は好きだ。
伊豆、能登、三陸…
どんな海岸もそれぞれ違う景色を持っている。
この海岸はノリを養殖していた。
夕暮れの人気のない船着き場も、何とも言えない哀愁を感じられる。
この旅の前にコンデジを買っておいた自分に感謝した。
夜、闇、車中泊
日が暮れて、あたりが闇に包まれると、私はハンドルを握り続けるマシーンになってしまう。
自分自身でもよくない癖であり、改善したいと思うが、全く治らない。
かつてはセローで富山から静岡まで下道ノンストップみたいなこともやってしまった。
景色をゆっくり楽しめないのは人生損をしているようにならない。
だから、当然写真もない。
和歌山県のとある道の駅で野宿をした。
私は学生時代野宿旅を何度もしたが、野宿をして何が楽しいかと言えば、テントの中でコンビニで買った酒を飲むことだ。
今回は車の中だが、非日常空間で酒を飲む楽しみは何者にも代えがたい。
ほどよく酔っぱらうと、眠ってしまった。
とはいかなかった。
ジムニーで車中泊は厳しい。これが現実だ。
特に、自分のジムニー(JB23)は初期型のモデルであり、後部座席を倒してもフラットにならないのだ。
私は、はじめ助手席をいっぱいまでリクライニングをして、眠ろうとしたが数時間で覚醒してしまい、
色々と格闘した結果。トランク部分に車の進行方向と垂直に体を向け、屈葬のような態勢で睡眠を取ることになった。
それでもなんとか酒の力を借り、眠ることはできたが。
2日目、起床、川湯温泉仙人風呂へ
起床した。
道の駅パーク七里御浜で写真をパシャリ。
すがすがしい朝だ。
予想以上に良いペースで南下できたため、スマートフォンで近隣の温泉を調べていると、
偶然川湯温泉を発見した。
川をせき止めて、地中から湧く温泉を貯める仙人風呂があるとのこと。
しかも思ったよりも近い。
行こう。
三桁国道をグングン上る。
ジムニーのサイズなら酷道であったとしても怖くない。
坂は登らないが。
川湯温泉に向かっている途中、谷間の素晴らしい景色に思わず車を停めて写真撮影をした。
山深いのに、川幅は広い。
時折霧が発生し、フォグランプを用いなければならない時もあったが、
川湯温泉に到着した。
仙人風呂から300メートルほど手前に無料駐車場があり、そこに停めさせてもらった。
時刻は朝の8時、自分のほかには誰も停めていない。
駐車場から川沿いに歩くと、湯気が立っている。
横には申し訳程度のよしずが立ててある。
そこが川湯温泉であった。
よしずの内側で服を脱ぎ、温泉に入る。
水着がないのでタオルで失敬した。
貸し切りなのでまあ許されるだろう。
浴槽(と言っていいのかわからないが)は小学校のプールぐらいである。
あちらこちらから気泡が湧いており、それに手をかざすと冷たい。
場所によって湯温は異なり、非常に冷たい部分と熱い部分がある、しかもそれは数十センチごとに異なる。
尻の部分は暑いのに、足先は水になっている、そんな始末だ。
屋外、しかもここまで広いのに整備が行き届いている。
多少のコケはあるものの、葉っぱ1つ落ちていない。
この浴槽によって町おこしをする観光業の人々には頭の下がるかぎりだ。
それにしても、この風呂は最高の露天風呂だ。
本来の意味の露天風呂だ。
しばし、風呂の中でまどろんでいると近隣の旅館からやってきたであろう朝風呂集団がやってきたため、タオルおじさんはきまり悪くなってそそくさと退散した。
もちろん、協力金の募金箱にはお金を入れてきた。
このようなすばらしい文化は大切にしていかなければならない。
個人的な意見を言うならば、こんなにインスタバ映えしそうな景色であるのに外国人の知名度が低いように感じられる。
山村の小さな温泉街ではあるが、ここまで広い「露天」風呂であるから、外国人観光客を呼び寄せるポテンシャルは十分にあると言える。
地元の観光協会の奮起を期待したいところである。
おせっかいだが。
風呂を跡にした私は、しばし温泉街を散策した。
本当に山の中に10軒ほどの旅館がある小さな温泉街であるが、雰囲気は十分である。
吊り橋の注意書きのフォントが昭和40年代を感じられて非常に素敵である。
ずっとこのままでいてほしい。
クジラの町、太地町へ
素晴らしい風景を後にした自分は、国道42号を南下し、和歌山県の太地町へと到着した。
ザ・コーヴなどで色々な意味で有名なクジラの町だ。
この、とても小さな町だが、観光には力を入れているようだった。
クジラの博物館は寄りたかったがあいにく時間がなかったためパス。
近くには落合博満記念館もあったが、友人と一緒に今度訪れようと思った。(多分行かない)
最近まで使用されていた捕鯨船も展示されていた。
800トン級の大して大きくない船である。
こんな船で外洋に繰り出してクジラと戦っていた漁師たちには頭が下がる。
昼食はクジラカツ定食を食べた。
クジラ肉特有のクセは感じられたが、非常に美味であった。
こちらの店の雰囲気は良かったので、また訪れたいと思った。
町を立ち去るとき、レンタカー集団を見かけ減速をすると白人の集団が海にカメラを向けていた。
環境保護団体がイルカ漁かなにかを監視していたのだろう。
正直なところ、田舎の小さな漁村の絶滅しかけた文化をここまで監視する意味は分からない。
ザ・コーヴで取り上げてしまったせいで日本の保守団体を活発化させてしまったようにも感じられる。
クジラ漁なんて放っておけばそのうち消滅した文化としか思えない。
まあでもおいしかったです。
樫野崎・潮岬へ
大地町を越えれば紀伊半島の先端まではもうすぐだ。
ジムニーを快調に飛ばす。
くしもと大橋のループ橋でハイリフトジムニーのばねの動きを感じていると
樫野崎にたどり着いた。
ここはトルコの軍艦エルトゥールル号が座礁した場所だ。
最近大泉洋主演で映画化された。
であることもありトルコと日本の友好を記念した施設が多い。
ケマルパシャ(アタテュルク)の銅像まであって驚きであった。
灯台の上からは、船が列になって航行していることが確認できた
船にも道がある、理屈では知っていたが実際に見ると圧倒されてしまう。
海運の要所であるとともに、難所であることもよく分かった。
最後に潮岬に向かった。
野焼きの跡がくっきり残っており、黒い地面が見えた。
こちらは野焼きした部分が無料キャンプ場になっており、シーズンは客でにぎわう。
しかしながら、オフシーズンの今は閑散としており、本州最南端の雰囲気はあまりない。
どことなく間延びした感じが御前崎っぽい印象を受けた。
石碑の写真を撮っておいた。
あまり実感は湧かなかった。
そして、自分は下道で帰宅した。
自動車専用道の無料開放区間があり快調に飛ばすことができた。